迫る森林崩壊、「水源の郷」救え! 横浜市OBら保全へ苦闘

1かつて外国の船乗りの間でも「おいしい」と好評だったヨコハマの水。その水源地である山梨県道志村の森林は今、全国的な林業衰退の影響で想像以上に荒廃が進んでいる。「水源の郷(さと)」を標榜する同村の山林の実情からは、日本の林業が抱える深刻な課題が見えてくる。横浜市OBらでつくるボランティア団体の森林保全作業に同行、森林崩壊を食い止めようとする活動を追った。

■緑あふれる森林の実情は

丹沢山麓の北側に位置する道志村。相模川の上流の道志川沿いに走る国道413号は、世界文化遺産に登録された富士山へ向かう観光道路としても利用され、沿道はスギやヒノキの人工林に囲まれている。一見すると緑あふれる豊かな森林に、崩壊の危機が迫っている。

地面まで十分な光が届かず手入れの行き届かない針葉樹は「線香木」と呼ばれるほどにやせ細り、風倒木などが放置されている。地表に光が届かないため植物も生えず、森の保水機能は著しく劣化、ひとたび大雨が降れば簡単に表土を流し去り、大規模な土砂崩れの危険にさらされている。

「それでは間伐した倒木を中央の広場に集めて下さい。何年も放置された木は腐っているので気をつけて」。7月中旬の土曜日。道志村の民有林で、森林保全ボランティア団体「道志間伐材活用横浜サポート隊」の代表、中島晋さん(67)が仲間に声をかける。

森林の中では、間伐で切り倒された杉の木があちこちの急斜面に放置されている。ボランティア隊は、これをチェーンソーで運搬可能な長さに切るなどして、滑車を組み合わせたワイヤを引っかけ、ズルズルとウインチで引きずりながら1カ所に集める。

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「『切り捨て間伐』と呼ばれています」。中島さんは荒れた森の状況を説明する。道のない急斜面をよじ登り、1本ずつワイヤをかける作業は危険で、蒸し暑い森の中ではなかなかの重労働。立っているだけでじわっと汗がにじむ。

切り倒して数年間も放置された間伐材は幹の奥まで腐食して木材としての商品価値を持たない。

作業現場からちょっと離れた場所にある小川に出ると森林荒廃の惨状がわかった。無造作に放置された「切り捨て間伐」後の木の幹や切り株の間をくぐり抜けるように、地面をえぐり取ったような溝ができている。むき出しになった砂利の間のこの溝をチョロチョロと水が流れる。まるで災害現場のようだ。

「この間の豪雨の時は、ここが濁流となって土や木を流し去ったんだ」。ボランティアの男性が教えてくれた。保水力を失った森では、地面に染み込むことなく行き場のなくなった雨水が暴力的に地面を削り、表土とともに下流へ流し出す。100メートルも行かない先には民家がある。

この民有林は森林整備のボランティア団体が森林整備や体験活動のサポートを行っている。ボランティアメンバーはこの日3カ所で14人。60歳以上のシニアが中心で、女性や中学生も参加している。ヘルメットに登山スタイルで森林に分け入り、チェーンソーや機械式ウインチを巧みに扱う。

■切り倒すのは重労働

「道志間伐材活用横浜サポート隊」。公共交通機関がほとんどない道志村に、横浜からメンバーの車に相乗りして週末に手弁当で駆けつけ、近くの民宿に泊まって翌日も作業をこなして帰る。

代表の中島さんをはじめとする約50人のメンバーの半分は横浜市役所OBや現役職員。現在の職業は会社経営者や幼稚園の理事長などさまざま。横浜市内の水道の蛇口から流れ出る水の意義について考え、森林の現状を目の当たりにして、この重労働に参加している。

3「では木を切ってみましょう」。ボランティアのメンバーに促され、記者も間伐作業に挑戦してみた。電柱ほどの太さの木に切り込みを入れる。根元から1メートルほどの場所を山林用のこぎりで切り、スイカの切り身のように木片を切り出せば、その方向に木が倒れる理屈だ。

しかし、水分を含んだ生身の木の抵抗は思いのほか強い。のこぎりを2分も引き続けると息が上がる。「そんな腰つきじゃダメだな。はい交代」。5人ほどで代わる代わるのこぎりをひいて、ようやく伐採用の切れ目が完成した。

しかし、それだけでは木は倒れなかった。「せーの」。ロープを巻き付けて6、7人で木を引き倒す。ロープには滑車をつけて、倒れた木があたらないように引っ張ったが、別の頑丈な木の枝に引っかかり、傾いたまま。チェーンソーで根元から完全に切断したり、幹をねじったりして格闘すること30分近く。なんとか作業は完了した。倒したスギは長さ20メートル、幹の直径は28センチ。改めて間伐作業の大変さを知った。

■防げるか「緩慢な災害」

間伐ができない森林は生態系にも大きな影響を与える。針葉樹の密生で光が届かない薄暗い森には、木の実などをつける植物も育たない。結果的に野生動物の餌不足を招き、クマやイノシシは人里に入り込んで農作物を荒らす。

道志川沿いの山の斜面には延々と金網の柵が設置されている。野生動物の食害防止のためだが、国道に柵をつくることはできないので、大規模な設備の割には侵入を完全に防ぐことはできない。

道志川をはさんだ対岸に大規模な山崩れの修復工事が行われた場所があった。2011年9月に日本列島に上陸した2つの台風の大雨で土砂が民家まで流れ込んだ跡だ。土留めをして水路を確保する山梨県と国の対策工事の事業費は1000万円近くに上った。

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突然起きる災害には復旧に巨額の公費が投じられるが、山林が徐々に荒廃していくような「緩慢な災害」にはボランティアによる細々とした保全作業に頼らざるを得ないのが現状だ。「災害予防の観点からも、森林保全に予算が回る体制がつくられないものか」。横浜市の建築局で長く勤務してきた中島さんはじくじたる思いを持っている。

■森林保全のネットワークづくり推進

市を定年退職後、村の非常勤職員も務めた中島さんによると、戦後の住宅復興や紙パルプ原料として、道志村でも森林が伐採され、代わりにスギやヒノキなど成長の早い針葉樹が国策で植林された。1955年から70年ごろのことだった。しかし、価格の安い輸入木材に押され、国産材は次第に競争力を失う。

国策で植えられた針葉樹の人工林だったが、林業のビジネスモデルは全国各地で破綻、林業従事者は去り、森は放置された。「山主(やまぬし)」と呼ばれる民有林の所有者は荒れ放題の山に取り残された格好となり、途方に暮れる。

村によると、間伐など保全を必要とする道志の民有森は2100ヘクタールに上る。村内でカバーしきれない水源の森の保全を、その恩恵にあずかる横浜市民のボランティアに託す。これが中島さんらが考える「森林間伐におけるネットワークづくり」につながる。

村内には「木の駅どうし」と呼ばれる木材集積所がある。中島さんらのボランティアが集めた間伐材がトラックで運ばれ、ここで保管される。一定期間の乾燥が終わると、村内にある日帰り温泉施設「道志の湯」で、温泉を加熱する燃料として使われる。

温泉施設運営会社から支払われる燃料代は、一部を山主に、一部をボランティア団体の運営費などに充てられる。この資金でチェーンソーなど山林保全に必要な機材も整備する。

5作業を終えて、間伐材で湯を沸かした「道志の湯」につかり、夜は村内の民宿でボランティアのメンバーから森林作業の苦労を聞いた。中島さんらが管理する森林は5ヘクタールと、保全を求められる道志の森のわずか0.25%にも満たない。「それでもネットワークが機能すれば森林保全の裾野は徐々に広がる」と期待をかける。

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横浜の水源に潜む「緩慢な災害」。翌朝、即効薬のない状況で続く息長い活動に思いをはせて道志を後にした。

(横浜支局長 和佐徹哉)

日本経済新聞