宮城県石巻市
復旧・復興に向けた新築住宅の資材としても重要な木材
安定供給するために早期再開を果たす
木材加工工場の多くが沿岸部に立地していたため、津波によって甚大な被害を受けました。
合板メーカーの被災と復興状況
東日本大震災によって、宮城県石巻市、岩手県宮古市、同大船渡市で操業していた合板メーカー6社が被災しました。この6社で全国の合板の約3割を生産していました。合板の安定供給のためにも早期再開が望まれています。本誌平成23年7月号で取り上げた大手合板会社のホクヨープライウッド株式会社でも、宮古工場の生産ラインの一部が7月から稼働を再開しました。
宮城県石巻市にあるセイホク株式会社では社内に復興対策本部を設置し、復旧作業に取り組みました。同社は平成23年7月上旬に生産ラインを復旧させ、同月下旬には針葉樹を材料とする建物の骨組み用合板(構造材)の出荷を再開しています。その他の被災した合板メーカーも、遅くとも9月下旬には出荷を再開しました。
また、セイホクでは同社が有する木質バイオマス発電所で被災地から出た木材がれきを受け入れ、がれきの処理に貢献しました。
被災して知った木造構造体の強さ
一方、沿岸部にあった製材メーカーもその多くが被災しました。そのうちの1社、宮城県石巻市の株式会社山大(やまだい)を訪ねました。
山大は石巻港に面した広大な敷地にウッド・ミル(製材工場)を有する製材メーカーです。植林事業と並行して、木材の地産地消にも力を注いできました。樹齢約50〜70年の「A材」と呼ばれる立派な杉の丸太が並ぶ山大のウッド・ミル。津波ですべての丸太や木材が流失しました。山大の専務取締役である高橋武一(ぶいち)さんに話を聞きました。
「東日本大震災では10mもの津波が襲い、海からわずか数十mに位置するうちの本社、製材工場などすべてがのみ込まれました。原木も製材機械も流され、大切な従業員も2名が犠牲となりました。
津波の翌日、製材工場に行ってみると、80トンもある乾燥窯が何基も流されてなくなっている中、木造の建屋だけは残っていたのです。鉄骨の建物は折れ曲がり、原形を留めていないのに、木造建屋の構造体は何ともありませんでした。壁は壊れましたが、最も海側の建屋は残り、そのおかげでメインの製材機械の流失は免れました。津波によって、木造の建造物の強さを改めて知りました」