環境保全や自然災害について考える。

『日本の森はなぜ危機なのか』

危機的に感じている方はどれ程いらっしゃるでしょうか?
最近のニュースでは九州の大雨で洪水や崖崩れで多くの被害が報じられています。
地球規模で見ると本当に異常気象や様々な問題があり、洪水等は温暖化問題も大きな原因の一つでしょう。
もっと身近な問題で考えてみると、そう、山林や河川の環境整備の不備等が思いうかぶと思います。
そこでこの度は森について『林業』と言うカテゴリーで考えてみます。
「日本の森はなぜ危機なのか」田中敦夫著 より
日本の森林は昔から現在のような比較的高い森林率が確保されていた訳では無い。
戦国時代の建設ブームや明治近代化、戦前の戦時体制の時代に林業の危機はあった。
むしろ、批判の多い戦後大規模造林時代に多くの森が育ち現在の森林率となった。
これは林業が評価されていい。
現在私たちがイメージする林業は戦後形作られたもので、昔は林業が儲り、輸入材で衰退したという訳ではない。
過去、林業が儲かったことは無い。
過去は必要に応じて木を山から切り出していた。
今の林業は吉野杉の林業を参考にしたものです。
吉野杉林業は非常に産業として確立された体系を持っていた。
吉野(奈良県中南部)では農作業を行う必要も無く、林業だけで生計を立てる村落があった。
山の斜面に高密度に植林し、一定期間ごとに間伐を行う。
小口径から中口径へ少しずつ常に間伐を行い、その間伐財も市場に出す。
そのため常に仕事があり、現金収入がある。
高密度ゆえ、杉は真っ直ぐに伸び、枝は少なく、成長が抑制されるので年輪密度は高く、建設木材としては最高級のものが育つ。
こうして、見事な杉林は育ち、且つ事業として成立しました。
そうして、200年を超える杉が育った森は、保水性など森林の環境性能も最高レベルであり、杉人工林だからダメだということにはならない。
しかし、その技術は吉野の高級建材を生み出す技術であり、これを日本全国の林業のモデルにしたところが間違っている。
実は間伐を行わなくても木は育つ。
既に国内では数箇所で実験に成功しており、手入れしないブッシュの中から苗は付きぬけ、弱い樹は淘汰され朽ちる。
そこで残った成長した樹は、間伐をして手をかけた山の樹の本数とほぼ変わらない。
間伐を行わなければ、生産コストは下がる。
林業にはまだまだ改善しろは多くある。
輸入材に負けたのは、単純なコストだけではなく、乾燥材比率の低さや、必要な規格材が揃わないというような品質やサービスの点で負けている要素が大きい。
国内自給に向けて可能性はある。
と、この抜粋は特に上記で述べた様な自然災害とはなんら関係が無いと思われるかもしれません。
ですが、林業と森はもちろん密接な関係であり、その森と自然災害の関係は非常に重要視する問題なんです。
皆さんは日本の山林がいかに杉と檜の木ばかりか気が付かれた事はあるでしょうか?
必ずしも植林された木ばかりではありませんが、大方植林をされた木なのです。
林業と言った業務の為に。
ですが、それが直接的に自然災害に繋がる訳ではありません。
林業が悪だと言う事は全くなく、今現在の森の状態に問題があるのです。
現状過去に植林をした箇所を整備する林業者の不足で手付かず、もしくは放置されている所が多すぎるのです。
ここでの放置は上記抜粋の『手入れしないブッシュ』とは意味が違います。
上記抜粋ではこれから育ってゆく新たな木を生存を競い合わせる事でより良い木を育てると言う事です。
ここでの放置と言うのは、今まである程度の間伐整備を行い非常に密度の濃い状態で育っている木、森が放置されていると言う事です。
この状態では『保水性など森林の環境性能も最高レベル
』では到底ありません。
こう言った状況の中、豪雨により森の保水性能が飽和状態を超えてしまい崩れてしまう箇所が各地域に多数存在するのです。
この様に林業と森林保全は密接な関係にもかかわらず、どれ程の山間周辺地区の住民、林業業者、市、県、国が危機的に感じているでしょうか。
確かに今、森や林業に関する事に関心を持ち活動をされている地域や団体もあります。
ですが、まだまだ森林保全や環境保全といった活動の出来る人材が少な過ぎるのです。
このまま少子高齢化か続く最中、その私たちの子孫の未来を蔑ろにしてしまって良いのでしょうか。
今世間では自分の事で精いっぱいだと言う時代なのかもしれませんが、少しでも関心を持っていただく事が私たちの使命だと感じます。