2012.12.10
私たち日本人は森林と大変関わりの深い民族です。日本列島には照葉樹林、広葉樹林、更に針葉樹林が加わり、世界的にも極めて多種の樹木を有する森林を形成しています。このことはそれらを食べる動物種の多さに関連します。狩猟採集時代を通して豊かな生活環境下での生活が、日本人の身体的・文化的特質をもたらした一因と考えられています。
現代でも私たちは森林から大きな恩恵を受けています。二酸化炭素の吸収と固定による地球温暖化の抑制、風雨・風雪・土砂崩れなど自然災害の予防が知られていますが、水源の涵(かん)養という重要な機能もあります。天然林やよく管理された人工林【1】では、地表に堆積した有機物と地中の微生物の作用により、保水・通水に優れた性質が土壌に備わります。雨水は土壌に保持された後、順次、河川や地下水脈に流れ込みます。森林土壌に含まれる総水分量は全国2600ヶ所のダム貯水量の十倍近くになるといわれ、飲料水をはじめ私たちが使用する豊富な水は森林の機能に負うことが多いのです。
わが国の森林は国土面積(3800万ヘクタールほど)の3分の2を占め、いわゆる先進国の中で際立って高い割合です。人工林はその内の1000万ヘクタールほどを占めますが、今日、その荒廃が進行して問題化しています。間伐などの手入れがよく行われないと、林内は日が差さず暗くなり、林床に生える植物とその食物連鎖に関わる生物が質・量ともに減少し、土壌が劣化します。その結果、前述した森林の機能が十分に果たせず、樹木の生長も衰え、災害の原因にもなります。
前回、山里の農地が荒れた話をしましたが、森林に対する昭和バブルの影響は農地をはるかに超えていました。私の「山の家」の周囲にある森林の多くが、投機目的で林業と関係ない遠隔地の人手に渡りました。このような所も国や県の補助金を使って間伐が行われていますが、十分とはいえません。間伐材は林中に放置されることが多く、朽ちて二酸化炭素に戻ります。本来、間伐は材の利用を含め、林業事業者が経営の一環として行うべきものです。林業問題は環境問題にも通じることがわかります。
わが国の木材自給率が20パーセント前後に低迷してから久しく、木を伐採しても、苗木を植え付ける費用すら出ないとよくいいます。再造林せず放置し、土壌の流出、荒地化をまねくことも稀でなく、深刻な事態です。しかし、北米、欧州の多くの国で林業は国を支える産業として立派に成立しています。例えばドイツでは、林業・製材・木工など関連産業の従業員数は130万人に達し、自動車産業従業員より多く、売上高は6.5兆円に達するという報告があります【2】。
明治の開国は西欧科学技術文明に基礎をおく強大な軍事力の脅威がきっかけでした。以後それらを積極的に取り入れ、第二次大戦後、工業化社会の実現に向けて政策を大転換した時も、科学技術に活路を求めました。当時、一次産業は時代遅れで役に立たないという風潮が確かにありました。しかし、西欧文明には、科学技術がよって立つ概念(還元論)と、それに対置される考え方(全体論・ホリズム)が伝統的にあります。一回目のテーマで取り上げたWHOの健康憲章はその一例で、人間の「体、心、社会性」の一つひとつというよりも、全体としてうまくいっていることを重視します。同じ工業国でありながら、ドイツの山村が元気なのは、このような背景があるからかも知れません。
補助金などによらず、自律的に森林を守るには、山里に人が戻り、林業やその関連産業で生活できるのが望ましいことです。利益のでる林業は可能でしょうか。ヒントは上述の報告書にありますが、既存の制度や政策と矛盾・対立を含め、困難を伴うことは予想できます。しかし、ドイツにできて日本でできないはずはありません。森林の民の子孫として、国民の広い理解と後押しが必須な所以(ゆえん)です。
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